てぃーだブログ › True Heart › 斎場御嶽(せーふぁーうたき)

2008年09月10日

斎場御嶽(せーふぁーうたき)

斎場御嶽(せーふぁーうたき)    

   斎場御嶽とは

 御嶽とは、南西諸島に広く分布している 
 「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく
 伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地 
 です。
 御嶽の中には六つのイビ(神域)があります
 が中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも
 首里城内にある部屋と同じ名前をもっていま
 す。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わり
 を示すものでしょう。
 
 
 

はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも。最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」でした。斎場御嶽は、琉球王国や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える
「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

東御廻り(アガリウマーイ)
琉球民族の祖といわれる<アマミキヨ族>が渡来し、住み
ついたと伝えられる知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事。


御新下り(おあらおり)

聞得大君の即位儀礼。任意後にはじめて知念間切にくだり
与那原の親川でお水撫での後、知念間切の斎場御嶽に夜
籠もりをしてお名付けを受け【大君霊】を継承する。

御新下りは国の一大祭礼であり、その規模は大きなもの
であった。なお、1840年の史料によると、馬が138頭
道路補修等を含めた就任に駆り出された人夫がのべに
して2,573人だったというから驚きである。


聞得大君(きこえおおきみ)
琉球王国(第二尚氏)時代の最高神女。
【聞得】は【大君】の美称辞で、名に聞える大君様の意である。
1470年に即位した、尚巴王の王女が初めて大君に任命さ
れて以来、王女・王妃・王母など、王族の女性が代々その職
につき、明治12年(1879年)の首里城明け渡しに至るまで
存続した。
その任務は国の重要な祭祀を通し、国王の長寿・国の繁栄
五穀の豊穣・航海の安全を祈願することにあった。


久高島(くだかじま)
知念半島の東方海上に位置する。
琉球開びゃく伝説では、あまみきよ(琉球開びゃく神)の上陸
地とされ、五穀発祥の地と伝えられる。イザイホーをはじめと
する多彩な祭祀行事が有名。


    
               




斎場御嶽(せーふぁーうたき)

 

斎場御嶽(せーふぁーうたき)     




        ← 沖縄県 南城市
           
          ~斎場御嶽~

          ガイドマップより全文抜粋















     



Posted by 清夏*彩花 at 01:16│Comments(3)
この記事へのコメント
ぉお~!!


神秘的で圧巻されました(笑)
Posted by yj at 2008年09月10日 16:27
yj さん

何もかもが神秘でしたよ(^^)
写真に写る光の色が、なお神秘さを
演出しています。
Posted by 彩夏 at 2008年09月10日 21:55
彩夏さんって
神秘的なブルーとパープルの光をとらえていますね~
素敵な写真にみとれています
Posted by ルミナスルミナス at 2008年09月16日 22:46
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。