斎場御嶽(せーふぁーうたき)
斎場御嶽とは
御嶽とは、南西諸島に広く分布している
「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく
伝説にもあらわれる、
琉球王国最高の聖地
です。
御嶽の中には六つのイビ(神域)があります
が中でも
大庫理・寄満・三庫理は、いずれも
首里城内にある部屋と同じ名前をもっていま
す。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わり
を示すものでしょう。
はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白砂を「神の島」といわれる
久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも。最も大きな行事が、
聞得大君の就任式である
「お新下り」でした。斎場御嶽は、琉球王国や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える
「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。
東御廻り(アガリウマーイ)
琉球民族の祖といわれる<アマミキヨ族>が渡来し、住み
ついたと伝えられる知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事。
御新下り(おあらおり)
聞得大君の即位儀礼。任意後にはじめて知念間切にくだり
与那原の親川でお水撫での後、知念間切の斎場御嶽に夜
籠もりをしてお名付けを受け【大君霊】を継承する。
御新下りは国の一大祭礼であり、その規模は大きなもの
であった。なお、1840年の史料によると、馬が138頭
道路補修等を含めた就任に駆り出された人夫がのべに
して2,573人だったというから驚きである。
聞得大君(きこえおおきみ)
琉球王国(第二尚氏)時代の最高神女。
【聞得】は【大君】の美称辞で、名に聞える大君様の意である。
1470年に即位した、尚巴王の王女が初めて大君に任命さ
れて以来、王女・王妃・王母など、王族の女性が代々その職
につき、明治12年(1879年)の首里城明け渡しに至るまで
存続した。
その任務は国の重要な祭祀を通し、国王の長寿・国の繁栄
五穀の豊穣・航海の安全を祈願することにあった。
久高島(くだかじま)
知念半島の東方海上に位置する。
琉球開びゃく伝説では、あまみきよ(琉球開びゃく神)の上陸
地とされ、五穀発祥の地と伝えられる。イザイホーをはじめと
する多彩な祭祀行事が有名。
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~斎場御嶽~
ガイドマップより全文抜粋